ーーー1---
感情を担保に小口融資が可能になった世界。
正確には――「誰かから向けられた愛情の残量」を、AIが解析し、信用スコアとして扱う制度。
無人自動契約機の中。
壁に埋め込まれたスキャンパネルの前で、
レナとその友人――寡黙で責任感だけが取り柄のカエデが査定を受けていた。
「――残留好意検知。レベル2。“幼少期の信頼”に基づく依存傾向アリ。利率6.2%。」
唸る機械音声に、レナは笑った。「お!30万通った!」
仕事に就いて自立するため、という名目だった。カエデはそれを信じたふりをした。
数週間後、レナは1人で無人自動契約機の前に立った。
銀行口座残高はゼロ、生活もすでに崩壊寸前。祈りながら表示を見る。
――限度額が60万円に増えていた。
「あーあ、まだ好きなんだ、あいつ」
レナはそんなことを思って、すぐに忘れた。
30万の借り入れ手続きを終えると、アプリは無機質に告げた。
「ご融資、ありがとうございます。
担保者・佐倉カエデ様の“好意残量”は現在:26% です。」
レナは画面を閉じ、
明るい街の中に、再び歩き出した。
こうしてクズは今日も生きている。
返せない“借り物の愛”で、ただ息をしているだけの人間として。
---2---
繁華街の一角。
レナは新しい服に身を包み、手にはブランドの紙袋をぶら下げていた。
遊び友達と並び、ネオンに照らされた高層のバーに入る。
「ねえレナ、最近どこから金出してんの?ずっと景気よくない?」
「うん、まじすごいんだって。限度額、どんどん増えていくんだよ。」
レナは笑いながら、スマホの与信画面をチラ見せする。
現在の担保者:佐倉カエデ(自動更新)
「えっなにそれ!紹介してよ」
「ズルい、うちらにも教えてよ、その子!」
レナは鼻で笑った。
「無理無理、お前らにはあげない。
うちの財布、ちょっと特別なんで。」
そう言って、カクテルをひと口。
その目にカエデの「か」の字も浮かばなかった。
カエデの部屋。
夜の窓辺で、スマホを静かに開いていた。
1通のメッセージが届いている。
---
なんか通ってた。
あんたの名前、また出てた(笑)
今回はちゃんと使うよ。マジでありがと。
あんた、ほんとすごいね。
…あ、べつに深い意味はないけど!
なんか言っといたほうがいいかと思って。
---
彼女はレナに何も言わなかった。
ただ、月に2回、仕事終わりの時間を削っては、
ひとり、機械の前に立っていた。
「まだ少しは…生きててほしい、かな」
返信を書く。
---
通ってよかった。
使い方、ちゃんと考えてね。
あと、風邪ひかないように。
夜は冷えるから。
---
送信ボタンを押す前、カエデは数秒指を止めた。
「ありがとう」って、もう一回言われたらどうしよう。
そんな一瞬の期待と不安が入り交じる。
でも、結局送信した。
---3---
カエデのスマホには、ローンアプリからの通知が静かに届いた。
「好意残量:0%
与信終了処理を開始します。
債権回収オペレーターが近日中に訪問します。」
いつか来るとわかっていた、でも、どこかで「レナが返す」と信じたかった。
ただ気持ちを注ぎ続けた。
その夜。
レナはいつものように、遊び友達の車の助手席にいた。
繁華街の光が遠ざかるなかで、彼女のスマホも振動した。
「佐倉カエデ様の“好意残量”が消滅しました。
担保保証のため、今後の融資利率は**年48%**に引き上げられます。」
「……へえ、あいつ、やっと呆れたか」
レナはそうつぶやいて、
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、泣きたくなった。
けれど、
彼女は泣かなかった。
だって、まだ誰か、私のこと好きな奴はいるはずだから。
数日後。
カエデの家に、無音で現れた回収オペレーター。
人型のシルエットをしているが、顔はなく、手先は機械のように無機的に動いている。
ベッド脇のテーブル、枕元、スマホ画面、
手帳、鏡の前、古いコップ、壁に掛けたカレンダー。
「感情残渣反応:微弱。対象空間からの好意発光は検知済。
感情起動因子の再生成を防止するため、残留物の消磁処理を実行します」
手には小さな黒い装置。
まるで空気を攫うように、それは**「見えない何か」を吸い上げていく**。
吸われたあと、部屋の空気はわずかに薄くなったように感じられる。
空気ごと“好きだった時間”が消えた。
---4---
夜の無人自動契約機。
静まり返った商業ビルの一角、唯一煌々と光るその画面の前で、
レナは媚びるように笑っていた。
「ねえ、カエデ。これが最後。ほんとに最後。
これ通ったら…もう、ちゃんとするから。働くし、貯金もするし…
あと…今度、ディズニー行こ。泊まりでも、いいよ」
くすぐるような甘い声。
かつての彼女なら、確かにそれで動いてしまった。
一瞬だけ夢を見て、少しだけ未来を信じた。
カエデは黙って、タッチパネルに指を置く。
「担保者:佐倉カエデ
現在の“好意残量”:0.0%
与信枠:0円」
レナが息をのんだ。
カエデはただ、画面を見つめていた。何も言わずに。
その瞬間、レナの顔にかすかな動揺が走った。
…演技ではなく、本気で驚いていた。
「……ウソでしょ。あんた、まだ少しは私のこと――」
「うん、まだ好きだよ」
カエデの声は静かだった。
「嬉しかった。『泊まってもいい』なんて、初めて言われたし、
一緒に遊ぼうって言われたの、たぶん高校以来だったし」
レナは少し口を開けたが、言葉が出なかった。
「……たしかに嬉しかったよ。
でも、それは“私だから”じゃないなって、思っちゃったんだよね」
カエデは少しだけ笑って、レナの手を取った。
その手は、昔よりも細く、冷たく、そして――軽かった。
愛は通帳のように残高が見えるわけじゃない。
でも、いつか必ず、限度が来る。
その日は、思ったより優しい夜だった。
風も穏やかで、星がよく見えた。
無人自動契約機は沈黙を守ったまま、
彼女たちの背中を静かに見送っていた。