2025年5月10日土曜日

『つくってわらおう』

子どもたちに向けた、教育系工作番組。
お姉さんとカニちゃん、愉快な掛け合い。

「見て見て、できたよカニちゃん。宇宙ひこうしセット!」

「わあ、本当に飛んでいけそうだね!」

照明に照らされたスタジオ。
背景の布には銀色の星。
テーブルの上には、紙皿で作った宇宙船と、ペットボトルの望遠鏡。
どれも、収録が終わればゴミ袋に消える、はかない創造物たち。

スタッフが手振りでカウントダウンを送る。
台本通りの段取りと、繰り返される笑顔。
子どもたちは笑い、画面の中のふたりも笑っている。

「カニちゃんも、宇宙行ってみたい?」

「うん、行けたらいいなあ。どこまでも、一緒に」

カメラには、重すぎる言葉の真意までは映らない。

スタジオの天井からは、星のモールが吊るされていた。
きらきら光るその紙片も、明日にはまとめて捨てられる。

けれど、2人の笑顔の密度は、作り物が捨てられる番組の裏側を、ほんの少しもにおわせなかった。

ーーー

収録が終わった夜。
スタジオ裏の駐車場。

車の助手席に座っていたのは、着ぐるみではなく、 “カニちゃんの中の人”だった。
後部座席にはキャリーケースと、取り外された頭部。

赤くなった目元に、残りかけたメイク。
汗と涙と、誰にも見せない顔。

お姉さんは運転席に座ったまま、手を組み、視線を前に向けたまま動かない。
無音の時間が流れる。

「わたしね、最初は、あなたとだったから、本気で笑ってた」
「覚えてる? あのとき作った段ボールの動物園。あれ、あなただけすごく本気だったじゃん」

「毎週、一緒に新しい何かを作って、積み上げて、最後には……」
「ちゃんと残るものがあるって、信じてたんだよ」

お姉さんは何も言わない。
まばたきすらしないような静けさが、返事の代わりだった。

「もう、わたしでは遊んでくれないんだ」

涙は出なかった。
ただ、言葉を口にしたことで、胸の奥で何かが崩れていくのがわかった。

ーーー

次の週。
スタジオでは、いつもと同じオープニングが始まる。

「今日は、どんな工作するのかな〜?」

「見ててね、お姉さん。ほら、今日はパクパク人形だよ!」

子どもたちの笑い声、スタッフの合図、BGMのループ。
カメラの向こうでは、完璧に“いつも通り”が動いている。

画面のふたりも、息ぴったりで笑っている。
切り貼りされた紙と針金と笑顔。
カメラに映っているのは、たしかに“なにかを作っている”ふたり。

けれど、カニの中にいる彼女はもう、
積み上げていくものも、残すものも、信じていなかった。

ただ、表情を貼りつけたまま、 “つくり笑い”しかできない人形になった。

『手袋を贈る話』

とある中世の小国のこと。
第三王女セレナに密かな恋情を抱いていたのは、文官家系の次女、レティシアだった。

禁じられた想いだと、わかってはいた。
それでも彼女は、セレナが一度だけ身につけた手袋を、ある日こっそり譲り受けてしまった。

「気に入ったなら、あげるわ。もう使わないから」
セレナは何の含みもなくそう言った。だがその無邪気さは、時に残酷だった。

レティシアはその手袋を、まるで王女の手そのものを抱くかのように、肌身離さず持ち歩いた。
儀礼にも私室にも忍ばせ、手を合わせ、香りを確かめ、ぬくもりを思い出しては、そっと目を閉じた。
それは決して届かぬ恋の代わりであり、彼女だけの静かな聖遺物だった。

だが、時は残酷に日々を削った。
結婚が決まり、領地の管理や政務の責務も重くなる中で、彼女はふと気づいた。
これはもう、自分の中で過ぎ去ったものなのだと。
未練だったのだ。夢だったのだ。
そう納得し、ある静かな午後、レティシアはその手袋を馴染みの酒場の娘に手渡した。

「気になるの? あげましょうか」
微笑みとともに差し出されたそれに、ユリィナは言葉を失った。

ユリィナは、レティシアに密かに想いを寄せていた。
貴族と平民、交わることのない立場だと知りながらも、彼女の言葉や視線に胸を焦がしてきた。
だからこそ突然の贈り物に、目を疑った。
震える手でそれを受け取り、夜、誰もいない部屋で、そっと抱きしめた。

指先にかすかに残る香水の気配。
内布に刻まれた手のひらの跡。
けれどそこには、ユリィナの知るレティシアの香りだけではない、もうひとつの気配があった。

それはもっと遠く、もっと華やかで、
もっと触れてはならぬ何かだった。

身分。地位。記憶。想い。
触れてはいけない、それでも触れてしまいたくなる女の輪郭が、そこには確かにあった。

ユリィナはようやく理解する。
これは、レティシアがかつて愛した誰かの痕跡なのだと。
そしてその誰かに、どうしてもなりたかった自分自身を。

それでも彼女は、その手袋を胸に当て、目を閉じた。
たとえ代わりであっても。
誰かの代わりの、さらにその代わりであったとしても。
その愛に触れたような気がした瞬間は、決して偽りではなかったのだから。

そして思う。
もし、代替の代替で満たされる恋があるのなら――
それもまた、恋のかたちなのだと。

静かな夜。
ユリィナは、手袋を丁寧に折りたたみ、古い木箱にしまおうとして、ふと手を止めた。
明日また来るだろう、店の常連の少女の顔が頭に浮かぶ。

よく気がつく子だ。
時々、視線がまっすぐすぎて困る。
何かを言いたげで、でも言わない。

ユリィナはそっと笑った。
箱を閉じずに、そばに置く。

誰かに渡されたものは、誰かに渡してもいい。
それが“想い”でなくなったあとなら、なおさら。

そして、あの手袋にはまだ、
誰かのことを好きになれる気配だけが、ほんのわずかに残っていた。

『感情担保信用制度』

ーーー1---

感情を担保に小口融資が可能になった世界。
正確には――「誰かから向けられた愛情の残量」を、AIが解析し、信用スコアとして扱う制度。

無人自動契約機の中。
壁に埋め込まれたスキャンパネルの前で、
レナとその友人――寡黙で責任感だけが取り柄のカエデが査定を受けていた。

「――残留好意検知。レベル2。“幼少期の信頼”に基づく依存傾向アリ。利率6.2%。」

唸る機械音声に、レナは笑った。「お!30万通った!」
仕事に就いて自立するため、という名目だった。カエデはそれを信じたふりをした。

数週間後、レナは1人で無人自動契約機の前に立った。
銀行口座残高はゼロ、生活もすでに崩壊寸前。祈りながら表示を見る。

――限度額が60万円に増えていた。

「あーあ、まだ好きなんだ、あいつ」
レナはそんなことを思って、すぐに忘れた。
30万の借り入れ手続きを終えると、アプリは無機質に告げた。

「ご融資、ありがとうございます。
担保者・佐倉カエデ様の“好意残量”は現在:26% です。」

レナは画面を閉じ、
明るい街の中に、再び歩き出した。

こうしてクズは今日も生きている。
返せない“借り物の愛”で、ただ息をしているだけの人間として。

---2---

繁華街の一角。
レナは新しい服に身を包み、手にはブランドの紙袋をぶら下げていた。
遊び友達と並び、ネオンに照らされた高層のバーに入る。

「ねえレナ、最近どこから金出してんの?ずっと景気よくない?」

「うん、まじすごいんだって。限度額、どんどん増えていくんだよ。」
レナは笑いながら、スマホの与信画面をチラ見せする。
現在の担保者:佐倉カエデ(自動更新)

「えっなにそれ!紹介してよ」
「ズルい、うちらにも教えてよ、その子!」

レナは鼻で笑った。

「無理無理、お前らにはあげない。
 うちの財布、ちょっと特別なんで。」

そう言って、カクテルをひと口。
その目にカエデの「か」の字も浮かばなかった。

カエデの部屋。
夜の窓辺で、スマホを静かに開いていた。

1通のメッセージが届いている。

---
なんか通ってた。
あんたの名前、また出てた(笑)
今回はちゃんと使うよ。マジでありがと。
あんた、ほんとすごいね。
…あ、べつに深い意味はないけど!
なんか言っといたほうがいいかと思って。
---

彼女はレナに何も言わなかった。
ただ、月に2回、仕事終わりの時間を削っては、
ひとり、機械の前に立っていた。

「まだ少しは…生きててほしい、かな」

返信を書く。

---
通ってよかった。
使い方、ちゃんと考えてね。
あと、風邪ひかないように。
夜は冷えるから。
---

送信ボタンを押す前、カエデは数秒指を止めた。
「ありがとう」って、もう一回言われたらどうしよう。
そんな一瞬の期待と不安が入り交じる。

でも、結局送信した。

---3---

カエデのスマホには、ローンアプリからの通知が静かに届いた。

「好意残量:0%
与信終了処理を開始します。
債権回収オペレーターが近日中に訪問します。」

いつか来るとわかっていた、でも、どこかで「レナが返す」と信じたかった。
ただ気持ちを注ぎ続けた。

その夜。
レナはいつものように、遊び友達の車の助手席にいた。
繁華街の光が遠ざかるなかで、彼女のスマホも振動した。

「佐倉カエデ様の“好意残量”が消滅しました。
担保保証のため、今後の融資利率は**年48%**に引き上げられます。」

「……へえ、あいつ、やっと呆れたか」

レナはそうつぶやいて、
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、泣きたくなった。

けれど、
彼女は泣かなかった。
だって、まだ誰か、私のこと好きな奴はいるはずだから。

数日後。
カエデの家に、無音で現れた回収オペレーター。
人型のシルエットをしているが、顔はなく、手先は機械のように無機的に動いている。

ベッド脇のテーブル、枕元、スマホ画面、
手帳、鏡の前、古いコップ、壁に掛けたカレンダー。

「感情残渣反応:微弱。対象空間からの好意発光は検知済。
感情起動因子の再生成を防止するため、残留物の消磁処理を実行します」

手には小さな黒い装置。
まるで空気を攫うように、それは**「見えない何か」を吸い上げていく**。

吸われたあと、部屋の空気はわずかに薄くなったように感じられる。
空気ごと“好きだった時間”が消えた。

---4---

夜の無人自動契約機。
静まり返った商業ビルの一角、唯一煌々と光るその画面の前で、
レナは媚びるように笑っていた。

「ねえ、カエデ。これが最後。ほんとに最後。
 これ通ったら…もう、ちゃんとするから。働くし、貯金もするし…
 あと…今度、ディズニー行こ。泊まりでも、いいよ」

くすぐるような甘い声。
かつての彼女なら、確かにそれで動いてしまった。
一瞬だけ夢を見て、少しだけ未来を信じた。

カエデは黙って、タッチパネルに指を置く。

「担保者:佐倉カエデ
現在の“好意残量”:0.0%
与信枠:0円」

レナが息をのんだ。
カエデはただ、画面を見つめていた。何も言わずに。

その瞬間、レナの顔にかすかな動揺が走った。
…演技ではなく、本気で驚いていた。

「……ウソでしょ。あんた、まだ少しは私のこと――」

「うん、まだ好きだよ」
カエデの声は静かだった。

「嬉しかった。『泊まってもいい』なんて、初めて言われたし、
 一緒に遊ぼうって言われたの、たぶん高校以来だったし」

レナは少し口を開けたが、言葉が出なかった。

「……たしかに嬉しかったよ。
 でも、それは“私だから”じゃないなって、思っちゃったんだよね」

カエデは少しだけ笑って、レナの手を取った。
その手は、昔よりも細く、冷たく、そして――軽かった。

愛は通帳のように残高が見えるわけじゃない。
でも、いつか必ず、限度が来る。

その日は、思ったより優しい夜だった。
風も穏やかで、星がよく見えた。

無人自動契約機は沈黙を守ったまま、
彼女たちの背中を静かに見送っていた。