2010年5月26日水曜日

人間

今日も母親が退屈そうにインターネットをしておったので、ここはネット事情に明るい僕が耳寄りな情報を提供しようと思い立ち、阪神タイガースの鳥谷選手がブログをやっていることをお教えいたしました。母親は早速おググリなさり、鳥谷ブログに到達しおもむろに記事を読み始めなさいました。
僕はその間に暇を見つけてしまったので、「鳥谷のブログはあまり面白くないんだよ。」と、紹介して数秒でオチをバラしました。
しかし母親は僕の期待していた反応とは180°違って「鳥谷面白いなぁ。好感度上がったよ。」と大変気に入ったご様子。
それを聞いた僕はアッと思い出しました。実は僕が初めて鳥谷ブログを見たときも、文体の丁寧さと話題のシュールさに微笑みながら読み進めたことを。そしてブックマークまで行った事実を。
どうして「鳥谷ブログは面白くない」という宣言をしたのだろう。
それは恐らく、初めて鳥谷ブログを見たときに僕一人だったからです。
面白い面白くないは他人との間にある相対的な基準。これは面白い、これは面白いぞ…とその時は思っても、すぐにもう一人の自分が現れ、これは他人にとっては面白くないだろ…。と意見。しゃべり場ばりの熱い脳内議論もなく、鳥谷ブログの評価は宙に浮いたままになっていました。
僕は恐れていたのだった。自分の評価が他人と食い違うことに。自分の面白いが、他人の面白くないになったとき、鼻白み耐えられない事に。
そして今日、僕は他人が居ないと考えの一つも固められないグズだと知りました。これこそ、グズだろう。